小樽市船浜 石田 伸一さんインタビュー

苦労した経験が、漁師としての大きな喜びに

 最初漁師はイヤでしたね。うちの親父もさせないって言っていましたし。親父の手伝いで船に乗ってはみたけれど、漁の仕事が嫌いでした。船に酔うし、魚臭いのが苦手で、漁師には絶対に向いていないと。親父が生きている間だけ手伝ってみるかという感じでした。自分の代で終わりにすると親父も言っていましたしね。親父が亡くなって、「漁師をやる」と言ってしまった。船という財産があったことと、一緒に船に乗ってくれる相方が賛成してくれたのがきっかけとなりました。
 漁師になって辛かったことは、やっぱり獲れない時ですね。自然を相手にしている仕事ですから、魚はいつ獲れるかわかりません。年によっても変わってきます。漁師になって直後は、どんな魚がどこで獲れるかわからない。ただ網を置いても魚は獲れないわけです。長く漁師をやっている人の持つ、経験や勘がまったくありません。何とかして他の漁師についていきたいと考えたのが、魚群探知機です。魚群探知機を使うと、網を上げずに魚がついているかいないかがわかりますから、魚がついていない網は上げずに、そのままにしておけます。仕事の手間を少しでも減らすことで、経験や勘の足りない部分を補おうと思ったのです。
 漁師の最大の喜びは、魚が獲れたことの喜びが一番です。最初にそう思えたのは、漁師になって4年目くらいですね。ニシンが当たって、一日で3t近く揚がりました。市場にも7、8回運んで、帰ってからもまだ網にかかったままのニシンをみんなに配って、結局徹夜になりました。それが今までで一日の最高だったと思います。
 魚がたくさん獲れた時は、いつでも嬉しいものですが、誰も獲っていない時に獲れた時というのも、また格別ですね。昨年の11月、ハタハタが見事に当たって、その日網を入れていたのは私だけでした。神懸かり的な気さえして、あの嬉しさは忘れられません。船の上で、携帯で写真を撮りっぱなしでしたよ。
 小樽の漁のこれからを考えると、漁師の数も減っていますが、資源も減っているので、決して楽ではないと思います。これからは、漁獲量が減ってきている魚種を、保護や漁期などを含めて、どんな方法があるかを皆で考えていくことが必要かもしれません。
 私は、毎日必ず、元旦でも海に来ます。漁師には決まった休みもありませんが、頑張れば頑張った分だけ返ってきます。娘の通っていた小学校に、『ニシン大漁のため休校』という昔の写真があったそうで、当時は、「どうしてお父さんは休みにならないの」と娘に聞かれたものですが、それだけ漁師がたくさんいた時代を経て、現在に続く職業なのだと思います。

東小樽で漁業を営む石田さん。相方と奥さんの3人で切り盛りしている。

石田 伸一さん プロフィール

昭和46年小樽市船浜の漁師の家に生まれる。子どもの頃から漁師だった父の仕事を手伝うが、漁師の道を選ばず、高校を卒業後食品メーカーに就職し営業マンとなる。父が死去し33歳の時に漁師になることを決意。以後試行錯誤を繰り返しながら今日に至る。